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 タイのクーデター 経済への影響と中国の攻勢

2014年7月10日

「クーデター」の捉え方

5月20日の戒厳令発令、直後の22日の軍部による全権掌握(クーデター)は、タイに法人を持つ日本企業の関係者を大きく慌てさせたことであろう。しかし、タイにおけるクーデターは2006年9月以来8年ぶりの出来事であり、国民やタイをよく知る人物には、驚きというよりむしろ「ようやく起きた」という感想を持って迎えられた不思議なクーデターである。このような捉え方をされる背景には3つの理由がある。1つ目はこのクーデターが、時の政権がタイ「王国」として望ましい方向性から外れたときに定期的に起こる「自浄作用」として国民の間で認知されているため、2つ目は近年のクーデターは大規模な衝突のない、いわゆる「無血クーデター」であるため、3つ目は経済への影響が限定的であると考えられているためである。

経済への影響は

今回のクーデターにおいても、この例に漏れず経済への影響は「限定的」なのだろうか。たしかにクーデター後の市場の反応を見ても、概ね値動きは小さく、短期的な影響は「限定的」であったと言ってよいだろう。ただし、クーデター以前から数ヶ月にわたって長引く政治的混乱は、確実にタイ経済を失速させている。

特に、国内需要をターゲットとした産業は、消費マインドの冷え込みによって大きな影響を受けている。タイ国トヨタ自動車(TMT)の発表によると、2014年1-4月の累計新車販売台数は前年同期比43.1%減の約52.3万台にとどまっている。自動車製造業各社は、生産ラインを国内販売用から輸出用にシフトさせ対応を図っているが、同期間の自動車生産台数統計も前年同期比27.8%減の約64.4万台と大幅に減少しており、減少分全量を吸収するのは困難であるとみられる。民間消費の冷え込みは、当然のことながら長期的には民間投資の減少につながる。

これに加えて、暫定政権下において大規模なインフラ公共投資の停滞も懸念されており、消費、投資いずれの側面を見てもタイの国内景気を好転させる要素は乏しく、世界的な情勢不安も相俟って、今後のタイの経済成長に対しては悲観的な見方が強い。国家経済社会開発委員会(NESDB)によると、1月から3月までの第1四半期のGDP成長率(速報値)は前年同期比マイナス0.6%と、洪水の影響を受けた2011年第4四半期以来のマイナス成長となっている。NESDBは同時に今年の伸び率予測を1.5~2.5%と発表したが、今後、景気刺激策を含む暫定政権の運営次第では、伸び率はさらに下振れする可能性もある。

軍事政権と民主主義

クーデターの影響を語る上で、ひとつ忘れてはいけない要素がある。それは、いくら平和的なクーデターであったとしても、民主主義の原則に反したものであることに変わりはないということである。このため、民主主義を標榜する諸外国政府は、現在政権を掌握している国家平和秩序評議会(NCPO)は当然のこと、今後発足される暫定政権に対しても、立場上、政府間交渉や協力・援助を原則行えないのである。事実、アメリカはタイに対する安全保障関連支援(470万ドル)を凍結し、高官の交流、軍事演習を取りやめると発表し、欧州連合(EU)はこれまで準備を進めてきたタイとのパートナーシップ協力協定への調印を見送り、相互の公式訪問を取りやめるとしている。日本政府の立場はまだ公式には明らかになっていないが、民政移管が行われるまでは、少なくとも、公式な政府間協議等は実施されないであろう。

一般的に、民間ビジネスはこうした政治の動向の影響をあまり受けないものの、高速鉄道敷設などの大規模インフラ構築、規格化がカギとなる外部ネットワーク性の高いビジネスや、制度の実効性確保などが必要な環境ビジネスなど、官民一体となっての推進が必要な類のビジネスについては注意が必要である。日本は近年、特に官民連携型ビジネスに力を入れて、アジアや中近東など成長市場における日本企業のビジネスを後押ししてきた。今回の暫定政権との関係によって、タイにおいてこれまで進められてきた案件や今後可能性のある案件が延期を余儀なくされ、その間にライバル国企業にリードを許し、最悪、逸注するといったケースも十分に想定される。

中国による攻勢

民主主義体制をとる欧米の先進諸国が(各国によってその温度差はあるものの)こうした制約を受ける中、それに縛られない中国は政府、民間レベルともにタイとの緊密化に向けてすでに動き始めている。寧賦魁在タイ中国特命全権大使は、NCPO上層部とのミーティングを行い、「中国からタイへの貿易・投資は今後一層拡大する」との見通しを伝えている。こうした発言は今後、具体的な協力プログラムや協定といった形でタイ側に提示されていくことになる可能性が高いと見られる。中国はこの機をうまく捉え、外交関係の良化、タイにおける「中国」イメージの向上による自国製品の市場参入・拡大までを強かに目論んでいる。

NCPOは今後の民政移管の実現は来年10月以降になるとしており、今後、約1年半にわたって軍部主導の政治体制は継続することとなる。この間に大規模インフラ構築は商談がまとまり、基準化を伴うなどネットワーク外部性の高い案件は、市場におけるスタンダードが確立されて他の参入は困難な状況になっている可能性もある。

日本もこのまま手をこまねいているわけにはいかないものの、アメリカとの関係もあり、政府が表立って動くことは困難であろう。民間に近い立場のジェトロ(バンコク事務所)を活用してのアプローチや、海外ビジネスの実施主体たる民間企業のタイでのF/S調査や実証段階への資金提供などによって、次期民政が立ち上がるまでの間、国を挙げて攻勢をかける中国企業との競争にさらされる日本の民間企業を、可能な限り支援していってもらいたい。

(石毛 寛人)

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